「ゼロ 何もない自分に(ry」と「儲け方入門」の読み比べ

以下、「儲け方入門」(2005年3月出版)より引用:

「僕は年収300万円という生き方をしたいとは思いませんけどね。
というか仕事を始めてから年収が1000万円より下だったことがないので、
そういう人たちの気持ちが分からないんですよ。」

「世間の常識と言うひとつの価値観に染められるくらいなら、嫌われてもいいやって、小学生のころからほとんど開き直っていました。『正しいのは僕の方だ』って。
実際僕の方でしたけどね。」

「いまだに新聞の切り抜きをクリッピングすることが情報収集だと思っている人がいると聞いて、思わず笑ってしまいました。」

「僕はよく決断が早いとか、フットワークがいいとか言われます。
僕自身はもっとスピードを上げないとダメだなといつも思っているのに、
世間の人はよっぽどスピードが遅いのでしょうね。」

「最初から足の速い奴だけ集めればいい。
僕の会社はそれができるんだから、そうしているだけです。」

「サラリーマンってなぜかみなさん忙しいって言いますよね。
たいして稼いでもいないくせに。」

「最大のムダは年寄りの説教ですね。
僕は旧世代の人と話をして役に立ったことはひとつもありません」

「年寄りなんて少し長く生きているだけで、怖い事なんてないのに、みんなビビりすぎなんですよ。」

「まだ我慢して満員電車で通勤なんかしている人を、僕はまったく理解できません。
不快なだけならまだしも、痴漢に間違われたりしたらたまらないですよ。
なんでみなさん我慢はしても、解放されようという努力はしないんですかね。」

「安心や不安、満足、不満足なんていうのは、その人しだいなんですよ。
収入が減ったら減ったなりの暮らしをして、そこに満足を見つければいいだけのことで、それこそバブルのころに下駄を履かされた生活に、いつまでもこだわる必要なんてないんです。」

「そりゃ、敵を作るわ」
という発言のオンパレード。
応援してくれてる若者たちにまで流れ弾が当たりまくりそうなこと書いてどうすんの、って気もするが、計算高くない物言いも当時の人気の理由の一つだったか。

これが、「ゼロ 何もない自分に」(2013年10月)になるとずいぶん違うトーンに。
以下また引用。

「刑務所の中で40歳の誕生日を迎えた僕は、『40代のジジイ』として、社会に戻ってくることになった。
会社を失い、大切な人を失い、社会的信用を失い、お金を失い、ついでにぜい肉までも失った。
心身ともに真っさらな『ゼロ』の状態だ。」

「かつての僕は、世の中にはびこる不合理なものを嫌う、徹底した合理主義者だった。
そして物事をマクロ的に考え、『システム』を変えれば国が変わると思ってきた。
僕はひたすら『ファクト』だけにこだわってきた。」

「僕にとってはじめての理解者であり、真っ暗な道に光をさしてくれた人、星野先生。
もしも再会できることがあったら、泣き出してしまうかもしれない。
いまの僕があるのは、間違いなく星野先生のおかげなのだ。」

「子供とは、大人の都合によっていくらでも振り回される、無力な存在だ。
しかし、勉強という建前さえ掲げておけば、大抵のわがままは通る。
八女から久留米の町に出ることも、柔道の道場を休むことも、パソコンを購入することも、そして上京することも。」

「メディアの前では強がっていたけど、プライベートで会う女の子には相変わらず挙動不審で、うまく話せなかった。
経営者となり、お金に余裕ができて多少チヤホヤされるようになってきても、
『オレの事が好きなんじゃなくて、オレの持ってるお金が好きなんでしょ?』
という猜疑心が拭えなかった。」

著者は、
「仕事に対する姿勢も、お金に対する価値観も、収監される前とまったく同じだ」
と書いているが、文章だけ見ていると二つの書籍が同じ人物の手によるものとはちょっと信じがたいくらい。
この2冊の間に何十冊も本書いてるし(小説まで)、その間に文章の書き方が変わっていったんだろうが、「ゼロ」の方では、明らかに自己開示や若い人たちへの共感というニュアンスが強く感じられる。(あとちょっとしたジョークも)

明らかに丸くなってるじゃないの。
いい年の取り方だ。