徳島県・和歌山県での原発反対運動を描いたドキュメンタリー映画、「シロウオ」を見てきた。
「電力」という巨大なシステムに立ち向かった人々の粘り強さが、淡々とした描写で描かれている。
この映画を見た限り、原発反対運動が成功した要因は以下2点に集約されているように思う。
- 故郷・自然への愛情
- 猜疑心・独立心
「故郷」への愛情だけだと、
「原発マネーでもなんでもいいから、とにかく故郷を残したい」
という、倒錯した考えに陥ってしまう可能性がある。
「自然」への愛情も加わることで、環境破壊につながる開発を回避したい、という気持ちが出てくる。
また、「猜疑心」があったからこそ、既に稼働していた他の原発に視察に行って、政府側とは異なった意見を取り入れることができたのだろう。
「独立心」がなければ、自身の選択を最後まで信じ続けることはできない。
「シロウオ」というタイトルは、シロウオ漁をモチーフにしたとのこと。
漁に用いる小石を原発マネーに例えたらしい。
個人的には、放射性廃棄物という怪物に怯えながら暮らす我々を、シロウオの踊り食いに例えているようにも感じた。
映画の前半は、徳島県阿南市椿町が舞台。
漁師さん、漁協組合長、畜産家、民宿の女将、元議員などのインタビューや、自然描写などで進んでいく。
漁師さん:
(原発マネーで)1000万・2000万円もらってもねえ。漁をしていればそのうち稼げる額だよ。
逆に、ちょっとでも放射能が入っていると言われたら、魚が売れなくなる。
自身の漁師としての力量への自信、海への絶大な信頼が伺える。
漁協組合長:
条件闘争ではないんだよ。ダメなものはダメ。
漁業を永続的に営めるかどうかが問題。
原発は、得るものがなく、失うものばかり。
福島の漁師には悪いけど、(福島第一の事故で福島の漁師は)「終わったな」と思ったよ。
畜産家:
最初は原発の事なんて何も分からなかったが、
他の原発に見に行って勉強するたびに、
「これはイカン。何としても阻止しなければ」と思った。
原発推進側が主催した視察ではヤラセがあった。
(排水口の近くで、針も糸も無しで釣竿だけで、釣りをしている人を仕込んでた)
原発から2㎞の畜産農家は、福島第一の事故の後、着の身着のままで逃げるしかなかった。
(動物たちを放置して逃げざるを得ない状況を結果的に作り出した)原発を推進した人間を許せない。
福島の畜産農家の事を思って、泣きそうになるシーンがとても印象的。
映画の後半は、和歌山県日高町。
元教師:
(太平洋戦争終戦でそれまでの価値観が180度変わった事を指して)お上の言う通りにしたらいかん。
京都大学原子力実験所助教:小出氏
福島第一では、プールから使用済み核燃料を取り出すまで、石棺はできない。
民宿の主人:
(自分の父親が)島根原発の視察に行った時、
「(漁師の)後継ぎがいるなら絶対反対しろ」
と言われた。
反対活動をやっていた時は、家族の中でも意見が衝突した。
今は、福島の事故があって「良かったな(※)」と思っている。
(※注:自分たちが反対運動をしたことが間違っていなかったと証明されたから)
上映終了後、監督の講演と質疑応答。
「(原発)賛成派の人の取材はできなかったのか?」
との質問が出た。
監督:
賛成派にも取材しようとしたが、出てくれなかった。「寝た子を起こすな」と言われた。
映画の登場人物達が反対運動を繰り広げた時代から約30年が過ぎた。
今では、独立型太陽光や市民出資風車、省電力技術の進展などにより、「電力」そのものを個人が作り出せる時代が到来している。
インターネットの発展で、多様な意見に触れるのも、同じ考えを持つ人々が集まるのも容易になっている。
にもかかわらず、原発再稼働の流れが止まらないのはなぜだろう。
この映画は、その一つの答えを提示しているような気がする。