イマジネーションの足らない人との想定問答集。
Q1. なんで東北なんか旅行いったの?海外旅行の方が楽しいし、アジアだったら安いとこいっぱいあんじゃん?
A1. 2014年にはいろいろな国に滞在したいので、日本のことをちゃんと知っておかないと、人として終わってる感じがしたから。
また、「助けあいジャパン」という社団法人に関わるようになり、被災地への興味が強くなった。
南三陸町-福興市でのバンド演奏:
Q2. まさか「人生観変わった」とか言わないよね?
A2. 目に見える世界が広がったような気はする。
政府、電力会社、大マスコミ、経団連。
これらすべて、疑いの目でしか見ることができないワタクシ自身の心情は、被災地訪問後も変わっていない。
被災地周辺で産出された食品は、内部被曝が怖くて避けてしまうのは、今でも同じ。
旅行中は飲みまくり食いまくりだったけど。
東北どころか、千葉・茨城・栃木産の野菜や、長野産のキノコでさえ怪しいと思ってしまう。
子ども達や若い女性を避難させられない状況に苛立つ。
そういう自分も、問題解決のために何も行動できていないという、負の感情の連鎖。
一方で、被災地の人たちの話を聞くと、
「東京の人間よりむしろ希望を持って歩んでいるんじゃないか?」
とすら思えてくるほど、素晴らしい人たちばかり。
「すぐに逃げてください」と言っていた上杉隆氏を、
「デマ野郎!」
「非国民!」
と非難していた人たちの気持ちも、ほんの少しわかるようになった気がする。
いわき市の復興飲食店街「夜明け市場」:
Q3. なんで、今さら行ってるの?遅すぎ。
A3. 本当に、もっと早く行くべきだった。
弁解の余地なし。
放射能を恐れて、日本から逃げる事ばかり考えていた自分を反省。
また、
「避難生活で苦しんでいる人たちの様子を観光しに行くなんて、失礼すぎる」
「ボランティアで行っても体育会系のノリとか嫌いだし」
「使えねーって邪険にされたら心理的にキツイ」
などと思い、二の足を踏んでいたことも後悔。
しかし、
「来てくれるだけでも嬉しい」
という地元の人の話を聞くと、2年後でも3年後でも、遅すぎる事は無いと思った。
これからは反省の意味も込めて、年に数回は様子を見に行くつもり。
小名浜の水族館前(アクアマリンふくしま)に残されていたガレキの山:
Q4. 放射能で危険じゃないの?わざわざ被爆に行くなんてバカじゃないの。
A4. 東京だって毎時1マイクロの場所もある。
巣鴨とか東葛とか。
江東区・江戸川区では1~10マイクロシーベルトの箇所もチラホラ。
東京都のモニタリングポストでは新宿0.05, 江戸川0.1マイクロ。
モニタリングの数値で言えば、いわき市は0.15マイクロ。
仙台で、0.05マイクロ。
一年中そこにいるわけでもないし、年間積算で言えば大した被爆量ではない。
それよりも、自分のことのように考えられる町が増えたことの方が、よっぽど楽しい。
とはいえ、女子や子どもは内部被曝が気になると思うので、食事には気をつけた方がいい。
南三陸町-「高野会館」。従業員が来観客を救った:
Q5. もうとっくに復旧してるんじゃないの?
A5. 南三陸、久ノ浜はまだ爪痕を色濃く感じた。
ガレキが片付いていても、家の土台だけ、という状態が見渡す限り広がっている。
とはいえ、この状態も、何千・何万という人たちが気の遠くなるような作業を繰り返して、やっとたどり着いた成果。
小名浜港のように、復旧に膨大な努力があったことも、タクシー運転手さんからきいた。
「復旧は進んでいる」
「ぜんぜん復旧していない」
という二元論は、何も語っていないに等しい。