「無限の可能性」という教育の弊害

のちの人格形成に影響を与えてしまうような思春期の出来事が誰にでも一つや二つはあると思うが、自分の場合は中学校時代に

「将来の夢は?」

と質問された事に対し、

『年収10億!』

と答えてしまった事だったと思う。

単なる冗談や皮肉のつもりで言っていたわけだが、いつしか

『年収10億』

が自分の達成すべき目標であるかのように錯覚してしまった。

この『10億』という数字も相当適当だ。

中学生当時、自分がもらっていた小遣い額が月1000円くらい。

チラシで知ったマンションの値段が5000万円くらいだったので、

「コミック1冊+缶ジュース1本くらいのコスト感覚(約500円)で、マンションとか買えたら、かっこええだろうなー。モテるだろうなー」

という妄想で弾き出した数字だ。
※月収1億×12=年収12億。「12億」より「10億」の方が言いやすいから丸めた。

今になって考えるとそんな額を稼げるのは0.01%未満の高所得層であり、スポーツの才能も商才も無い、馬の骨が到達できる世界ではない。

今の自分が当時の自分にアドバイスできたと仮定するならば、

「10億も稼いで何に使うの?」

「その目標に見合う努力してるの?」

「うその夢を語るくらいなら、まだ分かんない、って言っちゃえよ」

と言ってやりたいところだが、たぶんそんな説教には耳も貸さなかっただろう。

10年以上かかって、収入以外の価値観を認められるようになって初めて、呪縛が解けた気がする。
そもそも、中学生のたわごとにいつまでも囚われている事自体、アホらしい。

トラウマや呪縛への対処って、結局自分で気付くしかないんだな。
しかも、後になってからでないと分からないし。
他人が出来る事といったら、きっかけを与える程度なのかもしれない。