「復興 Meetup」のレポートの続きです。
19:40 夜明け市場:鈴木さんのお話。
【闘劇】
格闘ゲームの大会。
公認会計士の勉強の代わりに、ゲームに情熱を注いでしまった(笑
日本一位になり、世界大会にも出場。
こんなことをしていたので、もちろん会計士の試験も不合格。
ゲームのライターの仕事とかで食べて行くこともできたが、
「自分は、それをするために生まれて来たんじゃない」
という気持ちがあった。
会計士の道は諦め、その時やっていたアルバイトを一生懸命やることにした。
「リフト」というWebとイベントの会社に入り、結果を出して、3ヶ月で役員になった。
仕事の指名がたくさん入るようになり、手が足りなくなったので、ゲーマーの知り合いに声を掛けた。
知り合いは皆就職していたが、
「俺と天下取ろうぜ!」
と勧誘した。
その後、独立。「ヨンナナプランニング」を設立。
「リフト」の仕事は儲かりはしたが、「自分のやりたいこと」ではなかった。
自分のやりたいことは、
- 地方の良いものをなんとか売れるようにしたい
- 意義のあるお金儲けをしよう
ということだった。
【飲食業への転身】
どうやって、地方の良いものをアピールしていくべきか?
自分は食べることが好き
飲食だ!
福島には美味しいものがいっぱいあるが知られていない。
移動式販売車(キッチンカー)を作って、ゲリラ的に都心のビジネスパーソンにアプローチしようと思った。
認知度が上がったら、固定店舗も開店しようと考えていた。
キッチンカーは2010年の10月に完成。
店舗は2011年の4月にOPEN予定だった。
震災時には内装も完璧。
仕入先も全て抑えていた状態で、震災が発生した。
【実家が津波で被災】
社屋は骨組みだけ残して全て流された。
新車の冷凍トラックも流されて使い物にならなくなった。
自分は震災当日、新宿にいたが、実家への電話はつながらない。
親に万が一の事もあるかもしれないと、覚悟した。
「どうやって、ヨンナナと実家の会社の従業員を食べさせていくか?」
ということを考えて、シミュレーションを真剣にしていた。
その日の夜中の1時半くらいに父親から電話があった。
車に乗っていて流されたが、途中で引っかかって、奇跡的に助かっていた。
あれは本当に嬉しかった。
吐きそうに泣いたのは初めてだった。
【震災直後のアクション】
まずは実家の再建。
次に、自分の会社のテコ入れ。
ヨンナナはイベント会社だが、震災後はイベントがほとんどなくなってしまった。
そんな中で、どうやって従業員を食べさせていくか?
それ以外にも、被災地支援。
というか、実家の近所のおっちゃん・おばちゃん達のために、炊き出しをした。
【「これを続けるのは無理だな」】
炊き出しやお弁当の配布をしたはしたが、
一回行うのにコストが10万円くらい掛かった。
- 毎週・毎月続けるのは無理
- 目の前の人は喜んでくれるかもしれないが、大元は変わらない
と気付いた。
全国から被災地への支援は多かったが、
「長続きしない」
と直感した。
【地元が立ち上がらないと変わらない】
震災というネガティブなイメージだけではなく、
ポジティブなものを発信していかないといけない。
4月初めのキッチンカーで炊き出しをした時の帰り道で、「夜明け市場」の企画を思いついた。
【シャッター通りの再生】
「白銀小道」という、昭和のスナック街みたいな商店街がいわき駅から徒歩2分の好立地にある。
けれど、30店舗中23店舗が閉店していて、ゴーストタウンのような状態だった。
周りには働きたい人がたくさんいた。
命が助かって、住むところが見つかったら、
「商売したい」
という気持ちになるのが当然。
自分の父親もそうだった。
地元のおっちゃん達も高齢で、東京に出稼ぎに行ってもなかなか雇ってもらえない。
津波で流された場所に再建しようとすると、2000万円くらいの莫大な費用が掛かる。
しかも流されてたり周りも避難していたりして、お客さんが来る可能性はとても低い。
であれば、いわき駅という便利な場所で一同に会して一緒に集客した方が、お客さんの集まる可能性は格段にアップする。
さらに、復興の拠点、観光名所としての役割を持たせれば、ポジティブなイメージを打ち出せる。
【説明会開催からOPENまで】
場所も家賃も決まっていないのに、説明会を実施した。
商工会にお願いして、店主達を呼んでもらった。
言った手前、絶対に良い場所を見つけてやる!という意気込みを持って進めた。
管理は全て自分の会社(ヨンナナ)で行う、という条件でオーナーさんから許可をもらった。
2011年の11月にOPEN。
最初は2店舗。
今(2013年4月)は11店舗が開いていて、12店舗目も決まった。
今ではちょっとした観光地になっている。
楽天やじゃらんやJRの広報誌でも取り上げられている。
しかも「スパリゾートハワイアンズ」より前のページで!
【震災前より、良い日本へ】
根っこにある思い。
震災で凄いダメージを受けたが、5年10年かけて元どおりにするだけじゃなくて、
- 震災前より、良いいわき
- 震災前より、良い福島
- 震災前より、良い日本
にしていかないといけない。
元々、ヨンナナプランニングは
「このままじゃ福島ダメだ!」
と思って始めたのに、元に戻してもしょうがない。
自分自身、震災で被害を受けた人間。
あの被害状況は
理不尽すぎて言葉が出ない。怒りしかなかった。
震災があったから日本・東北・福島が前進した。
と思えるようにならないと、自分の中で震災を消化できない。
【ただの「可哀想な出来事」で終わらせたくない】
夜明け市場は、
「震災前よりよくなった場所」
として評価してもらっている。
震災前はゴーストタウンだったが、今では家族連れで来てくれる。
女子会まで行われるようになった。
女子高生がランチ食べたりしている。