鼻血や疲労感などについては、3・11直後からツイッターではよく目にする内容だったので、特に新鮮味は無い。
それでも、マスメディア(20万部の週刊誌)で表立って訴えるのは勇気の要る事だったろう。
スピリッツ2014/4/26号~2014/5/26号掲載分を読んだのでいくつか抜粋&雑感。
福島の農家:武藤さん「よそに逃げても今までのような暮らしができるかどうか」
海原:「しかし火事だったらそんなこと言ってないで逃げるでしょう」
海原氏の意見は、正論だが強者の意見。
土地や借金や近所のしがらみで身動きの取れない農家にとってはツライ。
留まるのが正しいのか、逃げるのが正しいのか。
少なくとも10年たってみないと分からない。
自分自身の行動に引き寄せて考えてみると、3・11数日後の原発爆発が報道された日、真っ先に取った行動は
「株を買う」
だった。
また、福島を含む東北の不動産も少し検討した。
火事場泥棒か。
善悪は置いといて、行動の背景には、
- 「日本経済全滅という事にはならないだろう」
- 「フクイチのすぐそばとかに買わない限り、長期的には利用価値は戻るだろう」
という希望的観測(「ギャンブル」とも言う)があった。
福島の農家の方も、同じような計算をしているのかもしれない。
(一緒にするなと言われそうだが)
- 「数年たてば、売り上げも戻るだろう」
- 「数年耐えれば、空間線量も下がるだろう」
そう考えると一方的に
「逃げろ!」
と押し付けるのも違う気がする。
福島県伊達市での稲の試験栽培研究報告会:
「900万袋の検査が終わりましたが、100ベクレルを超えたのは53袋だけ。全体の0.006%でした」
交通事故で死亡する確率は0.001%(1万分の1)らしい。
それより低い、と。
それってどうなんだろ?安心?安全?
100ベクレルの米を食ったからって即死するわけではないし、逆に100ベクレル以下だったら安全なのかどうかもわからない。
いや、そもそも確率やベクレルの問題なのか?
福島大学准教授 小山良太さん:
「消費者も被害者なんです。
そこをきちんと認識せず、誤った風評被害対策をしていると、作っても売れない今の状態がずっと続きます。
消費者が買い渋るのはなぜか、それは検査体制に対する不安です。」
この発言は的を得ている。
消費者は、何を信じたらいいのか分からず、不安になっているから買わないだけだ。
その不安の発端は、原発事故を矮小化したり、安全神話を流布した誰かさんだ。
福島第一原発を取材した誰か(名前分からんモブ):
「カバー建設現場に移動し、原子炉の海側に移動しました。
途中、3号機の前で1時間当たり1680マイクロシーベルトを計測しました。」驚き役(モブ):「ひゃあ、途方もない値だ!」
福島第一原発を取材した誰か(名前分からんモブ):
「ですが、浴びたのは数秒間だけですから被曝量は安全基準よりはるかに下です。」
瞬間的に線量が高くても年間換算して低ければ問題ない、と冷静に突っ込みを入れている。
鼻血のあと病院にて。
山岡:「それから数日、鼻血が収まらなくて」
医師:「福島の放射線とこの鼻血とは関連付ける医学的知見がありません」
山岡:「うっかり関連付けたら大変ですよね」
この言い回しは、
「知見が無いから、医学的には無関係である」
とも取れるし、
「現時点では知見が無いだけで、無関係とは言い切れない」
とも取れる。
井戸川元町長:「福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです。」
「(ベントのため)爆発以前に双葉町では毎時1590マイクロシーベルトを計測しているんです。
そうとは知らず、避難最中のわれわれはその放射線を浴び続けてたんです。」
「私はとにかく、今の福島に住んではいけないと言いたい。
どんな獣でも鳥でも自分の子供を守るために全力を尽くす。
どうして人間にできないんですか。子供の命が大事でしょう。」
震災直後に埼玉に役場を移転させるなんて、「普通」の人には無理だ。
個人的に、彼の行動力は尊敬している。
「変人」は過半数の町民に嫌われてしまったわけだが、元町民(自主避難者)と現町民との確執の象徴のような人物であり、今後も目が離せない。
福島大学准教授 荒木田岳さん:
「福島がもう取り返しのつかないまでに汚染された、と私は判断しています。」
「汚染物質が山などから流れ込んできて、すぐに数値が戻るんです。」
「広域に除染して人が住めるようにするなんて、できないと私は思います。」
これも、自治体や国が言って欲しくない事実の一つ。
住む人がいるのなら、除染しないわけにはいかない。
ざっと読んだ感じ、若干「陰謀論」寄りかもしれないが、取材内容をありのままに伝えているように感じた。
「安全」寄りの発言者が出てこないので、不公平感が残るのかもしれない。
それでも取材はきちんとしているように見えるし、著者は覚悟とリスクを持って表現活動を行っているのだろう。
この内容を批判するには、少なくとも著者と同レベルの取材能力や覚悟を持たなければ、説得力は薄い。
ところでついでに読んだ、
「健康で文化的な最低限度の生活」
も面白かった。
月曜の楽しみが増えた。